節目

七瀬かすみ・Short story

「七瀬……、かすみか?」

商店街でウィンドウショッピングをしていた私は少し驚いた。聞き覚えのある声がしたからだ。それは忘れるはずもない、まぎれもなく彼の声だった。

「お久しぶりー。どうしたの? 一体」

「仕事で近くまで立ち寄ったんだ。時間があるからちょっと寄ってみようと思ったんでね」

「そうなんだ。元気そうだね」

「かすみも相変わらずだな」

高校2年の時に転校していった幼なじみの彼。引っ越し先の高校を卒業後、一旦こちらに戻ってきたが、すぐに別の街へ越していった。今では年に数回電話で話をする程度だ。

「今度は沢田さんとうまくいってるの?」

「う、うるさいな。うまくいってるって」

「ふーん、そうなのかなあ」

「なんだよ、それは」

「ううん、なんでもない、なんでもないの」

いたずらっぽい笑みを彼に返す。

「あの時はびっくりしたけどな」

「知ってると思ってたのよ。あなたが学校の卒業式に来た時、みんなびっくりしてたんだから」

「誰もなんにも言わないんだからな。あの時は本当信じられなかったよ」

「うーん、沢田さんと連絡とれてると思ってたし。私たちがなにか言うと逆に迷惑かけるかなって思ったから、誰も何も言わなかったのよ」

「まあ今はなんとか元に戻ったからいいけどな」

「そうだね」

沢田璃未が青葉台高校に越してきたのは高校2年の初夏の頃だった。その時は誰も知らなかったが、彼女は親の都合で10数回転校を繰り返していた。そのために今度もまたすぐに転校するだろうと思い、制服も取り寄せず、前の学校のをそのまま着ていたくらいだ。

その彼女が卒業まで転校はないと父から知らされた次の週、彼は転校していった。卒業したら戻ってくると沢田さんに言い残してはるか遠くの町へ。彼と沢田さんとは途中何度か会いに行ったり来たりしてたらしく、なんとか遠距離恋愛というものを続けていたらしい。予想もしなかった沢田さんの転校がきまるまでは。

「転校が決まった時、沢田さん凄く落ちこんでたから……」

「親父さんの会社の都合だよな。2年間は大丈夫っていってたのにいきなりだったって。会社なんてそういうもんだよな」

卒業の4ヶ月前、沢田さんは彼に何も言わずに越していったらしい。知らないのは彼だけだった。彼が連絡を密にとっていれば判ったものを、よりによって沢田さんの転校直前の時期から連絡をとるのを止めにしていたらしい。いきなり卒業式の日に帰って驚かそうと思ってた、ただそれだけのいたずらをしたいが為に。

「あなた、大学やめて沢田さんのいる街に引っ越しちゃったんだよね」

「璃未と大げんかしたよ。何考えてんだーっ! って。引越しばかりだからこれ以上迷惑をかけられないだとか、続かないだとか、私はやっぱり云々だとか、いい加減にしろって言うんだよな」

「あなただって自分自身の転校の事、最後まで言わなかったじゃない」

「そ、それと璃未の件とは別物だろ?」

「お互いに迷惑かけた点では一緒でしょ。二人とも肝心なところ話すの苦手なんだから」

彼が沢田さんのいる街に越していったあと、かなりいろいろあったらしい。沢田さんの父親とも直に話をしたという噂もあった。

「おまえ、ズケズケ物を言うようになったな……」

「仕事をし始めてから8年近くになるのよ。『ごめんね』ばっかり言ってちゃ仕事にならないでしょ」

「だいぶ変わったよなあ」

「変わるよ。だってあたしもう来年で30よ。あなただってそうでしょう?」

「う……」

「……ね、そんなに変わっちゃった? わたし」

話の内容が沢田さんと彼の事からわたしの事に変わった。

彼の目を見る。彼もじっと見つめてくれる。が、口元に少し笑みを浮かべてすぐに目をそらされてしまう。

「あんまり変わってないな。少女趣味は相変わらずだし」

「ひどーい。ぬいぐるみ作るってのがそんなに少女趣味?」

「おまえの場合はな。変わったところと言えば……、目尻に皺が増えたぞ」

「もう、いじわるっ!」

「ね、話元に戻すけど。それから沢田さんと2回別れて2回よりを戻したんだよね」

「……そんな話もしたっけか。そんな事もあったな、うん」

「いいかげん、くっついちゃったら?」

「かすみ!」

「沢田さんも待ってるんじゃないかな。お互い30歳になる前に式あげちゃえばいいのに」

「別に歳は関係ないだろ」

「節目だって事よ。10年以上付き合ってるんだから、何かきっかけが無いともう何も進まないでしょ? 結婚は勢いで出来るっていうけど、今勢いは無いんじゃないの? これ以上そのままにしてたらずっとこのままになっちゃうよ。沢田さんが可哀想じゃないかな」

「……」

「もうお仕事のほうは大丈夫なんでしょ?」

「苦しいけどな。でも結局はあいつがどう思ってるかだけど」

「嫌だったら2回もよりを戻さないんじゃないの?」

「ん……、そうだな。帰ったら話してみるか」

「ふーん」

「どういう意味だよその返事は」

「前置きなしに突然話しちゃうんでしょ?」

「なんだよ。悪いのかよ」

「突然とかいきなりとか、そういうところはちっとも変わらないね」

「う、うるさいな」

「ふふっ」

彼は少しうつ向きながら歩いている。何か考えている様子だ。沢田さんと今なにがどうなっているのかわからないが、二人ならたぶん大丈夫だろう。お互い意地っ張りなところが話をこじれさせる事になるかもしれないけど、最終的にはお互いの気持ちを判りあうはずだ。そうでなければ、青葉台高校で別れる時に確認しあった気持ちが今まで続いているはずがない。

惰性で付き合っているだけだと冗談を聞かされた事もあったが、その底では本物の感情がまだ熱く流れているように感じる。別れたのも感情が消えてしまったからではなく、単にお互いの意地がぶつかり合ったからというだけのような気がする。

「かすみはどうするんだ?」

「え?」

「相手は、いるのか?」

「ううん。ずっと一人よ」

「そうか。誰か紹介しようか? 高校のときの友だちでまだこっちに住んでいる奴がいるぞ。冗談抜きでいい奴を紹介するけど」

「いいよ、私は。今はこのままでいいの」

「そうか……。まあこういうのは無理に押しつけないほうがいいからな」

「うん」

「結婚したからって、幸せになるって訳でもないしな」

「そういうけどね。それは人によるよね」

そう、人によると思う。十把一絡げに決めつけてしまえるものではない。

特に沢田さんとあなたとは今の状態がとても不自然に思える。意地の張り合いかなにか知らないけど、いい加減にしないと取り返しがつかなくなるよ。

そう言おうとした時、彼は話題を違う方向に振った。

その後もしばらくとりとめのない話をした。彼が一旦仕事を辞めたことの真相、沢田さんと2度目に別れた時の話、沢田さんの絵の個展の評判、絵を描いている時の張り詰めた雰囲気、その他、その他……。

話をするたび、最初は少し疲れ気味だった彼の瞳が徐々に輝き出してくるのが判る。

あなたが転校していった時、わたしが泣いたのを知っているのかな。

転校していった事、転校の事を最後まで話してくれなかった事、最初に話したのがわたしじゃなかった事、戻っては来るもののそれはわたしの為じゃない事……。

話さないでいたのはわたしの事を嫌いだからというのではなく、気を使ってくれたからだというのは判っていた。彼のわたしに対する感情は昔から変わってない、それは確かなんだけれど。

このまま二人がどっちつかずの態度をとっていたんでは、あの日泣いたわたしの涙は無駄になってしまうような感じがする。さっさと片づいてくれればわたしも余計な気を使わないでいられる。こうなったら沢田さんの方も、わたしから少し後押ししてあげようかな。……これっておばさん的な考え方なのかな?

彼の話を聴きながらいろんな事を考えていた。

しかし、心の奥底には小さな頃から変わらないひとつの感情が未だに残っている。彼が沢田さんと約束をかわし、転校していったあの日に無意識のうちに心の奥に閉じ込めてしまった、小さな、でもとても大事で大切な感情のかけら。

二人の幸せを祈っている事は嘘ではない。でもそれと同時に別の感情も相変わらず残っていて、それが時々表に出てこようとする。あなたとわたしとはずっと友達。高校のお別れ会のときにそう言うことで終わりにしたはずなのに。

冗談じゃないよね、10代のころの感情に引きずられるなんて。大切なものには違いないけれど、これってもうとっくに過ぎた昔の感情なんだから。

「……っていう事なんだけど、判るか?」

「……、え、え?」

「かすみ……。やっぱりおまえは変わってないな」

「え、なにが?」

「聞いてなかっただろ、おれの話!」

「あ、あの、……ごめんね」

「……まあいいけどさ」

その後、彼と沢田さんとはまた大喧嘩したらしい。

でもすぐあとで彼は沢田さんの父親と二人だけで話をし、なぜか今はいろんな話が急ピッチで進んでいる……、事になっている……、らしい。

真相はよく判らないけど、たぶん悪いほうには進んでいないと思う。それに今では葵の方が心配のネタを作ってくれているので、彼のほうはとりあえず大丈夫と思い込む事にしている。

つわりが酷くて家に篭りっぱなしだからといって、いろんな人に電話かけておしゃべりしなくてもいいと思うんだけど、葵ったら。

tls-04@coomaru.com
公開:1999年11月6日
更新:2004年1月7日
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