海側の席

沢田璃未・Short story

小刻みにゆれる電車の振動と音が少しずつ眠りを誘う。夜明け前のこの寒さも睡魔には勝てないかもしれない。けれども目的地まであと少し。それまではなんとか起きていられるかもしれない。

沢田璃未がこの列車に乗るのは今日で3度目。そしてもしかしたら、最後。

窓の外には冬の海が広がる。やや強い風のせいで波の先が白く立っている。日の出まではもうあと数分。細くまっすぐな雲が水平線に長く伸び、その上の空はオレンジから紺への美しいグラデーションがかかっている。

駅に到着するたびに開くドアから入ってくる寒い空気の中に、今住んでいる青葉台の海とはまた違う香りがするのに気づく。ここは青葉台から遠く遠く離れたところ。そして、彼が住んでいるところ。

最初にこの列車に乗ったのは高校1年の終業式の後だった。高校生活では最初の転校。通算では12度目。父の仕事の関係で、やむなく。

転校には慣れている、いつもの転校と変わらない、そのはずだった。

今は名前を思い出す事も滅多にないあの人。すでに顔の詳細は記憶から抜け落ちてしまったあの人との事は今は遠い想い出。転校とともに何もかもが消えた。

あの人は忘れはしないと言ってくれた。しかし頼りが来ることはついになかった。もう思い出せないあの人の件についても、一度かけた電話に出た時のよそよそしい声だけはなぜか容易に思い出すことができる。なにがあったのかは想像もつく。簡単に想像もつく。あの日、列車の中で次の土地に向かう時には、多くの期待をしてしまったというのに。

期待などしてはいけない。私の心の半分はそう警告していたにも関らず、なぜか今回だけはと思ってしまった。あの時の事は今さらどう思っても仕方がない。

その時は目の前に父がいた。窓の向こうの海を見ていた父。少し寂しそうな眼を見た時、私も今このような眼になっているのだろうか、いつかこのような眼になってしまうのだろうか、一瞬そういう思いが頭をよぎっていた。予感はすぐに現実のものになった。

やがて新しい高校で2年生の生活が始まる。しかしそこは2ヶ月しかいなかった。そして高校生活2度目の転校、青葉台への移動には違う路線を使って移動した。

次にこの列車に乗ったのは高校2年の冬。青葉台高校で入れ違いになるかのように転校していった彼。水族館に連れていってもらった時、彼はいなかったのかと心配そうにしてた彼。1学期最後の月曜に突然、転校の話をした彼。……そして、知り合ってまだ1ヶ月足らずの女の子の為に、高校卒業後に青葉台へ戻ってくると約束してくれた彼。そして今、その彼に会いに行くためにこの列車に乗っている。

ほんとうならもっと早く着く行き方がある。しかし、最初に彼のいる町に行く時はどうしてもこの路線、この列車で行きたかった。特に深い理由はない。なんとなく、というのが一番近い理由かもしれない。

以前座った席と、廊下をはさんで反対側に座る。こちらの窓からは山が見えた。あまりゲンを担ぐほうではないが、同じ乗るにしても今度は反対側に座りたかったのだ。

すでに手紙では何度かやりとりをしていたし、電話でも話している。彼は前とまったく変わらない。妹さんも、一度昼食をご馳走になった時はやや緊張してた様子だったが、今は電話の向こうで元気な挨拶をしてくれる。だから、あの時と同じ過ちはもうくり返さないだろうとは思っていた。でも不安は残る。また同じ席に座ったら……、もしかしたら……。

前には見ることの無かった山側の景色。後ろへ後ろへと過ぎ去る町並み。一瞬だけ見える踏切。幾人かの姿が一瞬、見える。これまでも、これからも、二度と会うことのないだろう人たち。

運命という言葉は好きではないが、列車の窓から一瞬見える人々を思うとなぜかそういうモノが存在しているかのような気になってくる。

今までの転校、昔のあの人、今の彼。たった17年の人生での様々な人々との出会い。沢田璃未の心は不思議な想いでいっぱいになっていた。

そして今日。3度目のこの列車。18歳と4ヶ月の私。

今度は海側の席に座った。もうどこに座ろうと関係はない。彼の私に対する信頼、私の彼に対する信頼……。疑いも不安もない。それが自然な感覚になっていた。

安定は努力しないと続かない。今回の彼の町への旅行も、その努力の一つ。

そしてこの旅行もおそらく今回で最後になる。次は、もうない。なぜなら、あと数ヶ月で彼は青葉台に戻ってくるから。

ご家族の方、特に彼の妹さんには正直言って少し申し訳ない気もしている。私のせいではないのだが。しかし、やはり嬉しい。この嬉しさだけは何ものにもかえられない。

水平線上に細長くのびる雲が明るくなった。日の出だ。数分もたたないうちに雲の上から朝日が顔を出す。

よく考えたら、最初窓側の席に乗った時にはここまで風景を見ていなかったかもしれない。外は見ていたが、頭の中には何も入ってなかったと思う。

厳しくも美しい海、放射状に広がる優しくも強い光。まぶたに焼きつく風景。

彼のいる町まであと1時間。太陽の光と潮風の中を列車が走る。

次の駅では停車時間がやや長い。自動販売機で暖かい飲み物でも買おうかと、朝日を見ながらふっと思いついた。

tls-04@coomaru.com
公開:1999年12月23日
更新:2004年1月7日
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